1.The Age of Egos

 人の世というものは概してつまらない方向へと流転しているものである。わたしの人生も悲しいかなその例外ではない。様々な無意味(それはまた悲しいばかりの欲望の数々)が交錯する中にあって、自己を保持し続けうる人々は盲目であることを自覚するすべもない。ただ、しばしの間この抗いがたい流れ、自然の中に温存されているのみである。わたしはこの無限螺旋の呪縛に抵抗し、あがき、生きつづけてきた。

  わたしは、冷たい水たまりに足を浸している。わたしは、水たまりに足を浸している。わたしは、足を浸している。わたしは、ジュディーの足を浸している。わたしは、ジュディーの足をなめている。わたしは、ジュディーの爪先をなめさせられている。

 「あなたがた日本人は、体臭がまったく不快で自意識過剰で不気味なぜんまい仕掛かけの個人尊重という画一を強制する哺乳類どもにレイプされる前に、人類の究極のかたちである”美=死=虚無”の先駆となるべく”反生産”、”反出産”のスローガンの下に、享楽の生をもって精進すべきであった」

 ジムは、わたしの口元に垂れたジュディーの体液を、弄びながらいう。

 「全人類的自殺。この想念はわたしをエレクトさせるよ。進化がもたらしたすべての英知、すべてのマシーンは、我々の世代のために準備されたものだ。あとはこれらと合体してゼロをジェネレイトするのみだ」

 彼はウィーン分離派風デザインの苔色に曇った厚いグラスに体液(どんな?)を垂らした。

 わたしはジムとアルバイト先の書店で出会った。日本語を正確に曖昧に話すことのできるジムは、コートのポケットに売り物のジッポーの模造品を忍ばせた。

 「お客さん!」

 彼は、逃げることはなかった。

 わたしは彼の動揺の色をおび始めた瞳を見た。この瞬間にわたしの計画は完成した。

 十六才の少年はおびえている。右手を差し出すと彼はゆっくりと戦利品を渡した。その透けるような白い顔は徐々に赤みが指し漆黒のおかっぱ頭からは若々しくも決して低俗さに侵されていない無軌道な欲望の芳香が匂ってくるようだった。恐怖のあまり恍惚とし美しくさえある獲物のような彼。
 
 その店員キョウコは俺を誘った。性的な意味でだ。おびえてなんかいない。俺が恐れる唯一のものはジュディーだ。彼女はもういない。しかし一生、どこにいても、モスクワにあってもパリにあっても東京でもジュディーは俺をみている。一切の感情を排した視線で

ジュディーは俺を調教してくれた。それは性的な意味だけじゃない。したたかに生きていく術を教えてくれたのだ。いかに金を稼がずに生きていくのかを。

 ジュディー、彼女が遺した詩がある。口頭で俺にささやいてくれた、その詩をここに書き残してみようか。
 

自我の世紀 ジュディー

 

 同じ核時代を生きる人々へ向けて私は文字を吐き出す。

 それは全くの無意味さに侵されたそれでいて尚完全なる虚無という信仰の対象には決して同化などできるものでない。しかしながら自己の存在を肯定することだけが目的とされるのならば、たとえそうでなくとも、この言葉の羅列は、私自身が意味という空間を現出させたいが為のあがきなのかもしれない。私は今、あがきだとも思ってはいない。

 
 私はこの夏、人を一人殺した。

 幼女よ、おまえが好きだ。

 おまえの片言が好きだ。

 おまえのちいさな仕草が好きだ。

 ただ、おまえを撫でても、撫でても不満足が癒されることはない。

 おまえのすべてが知りたい。すべてを。

 糞や尿が詰まった腸のことは理解している。

  おまえの美しい形もそれら諸々の内部を包み込んだ薄皮によって保たれていることも。

  つまり、おまえは世界を欺き、しかもその美しさはその罪をけっしてゆるされ得ないものとする。

 しかし、私の腕の中にいるおまえはあまりにも無邪気だ。それ故に私はおまえを殺すだろう。矛盾を体現する幼女を救済したいから?いや、ただ、ただ、おまえが憎いのだ。

 私はおまえを燃やすだろう。頭蓋骨でさえ灰と化すだろう。

 この夏、私は人を一人殺した。幼女を扼殺し庭で燃やした。彼女の出産する可能性を考えるなら、後の無数の人間達を抹殺したことなる。なんと偉大な仕事だ。数多くの人間は、同類を殺さずして一生を終わるだろう。しかし私は違った。自己の存在の確証を得たい

 私は生活の中に自己を対象化するための機会を待っていた。その殺したいという意志は私の前に行為されたすべての殺人を低俗たらしめるほどの重要性をもつと神がささやいた。神?そう、おろかな何処かの誰かのための?

 気がつくと、無機質な消極性の中にいる私、自己保存のナルシシズムに埋もれ、陽気な絶望に身を委ねている私。心地いい。

 社会の中、諸々の外部。恐怖。それは実在する。苦もなく”生の慣性”に同化することができるのならそうしたかった。システムに自我を供物として捧げ、とけ込んでゆきたかった。

 そして今、私は何もできない状態にある。追い込んだのは私自身である。追い込まれた私は考える。

 自己の存在の確証を得たい。三次元的立体であるほ乳類である人間である私は確実にここにある。ここで今。この座標に。

 

 新宿のレゲエ・バーでナンパされた男(火星から来た?)が私に一冊のペーパーバックをくれた。酸化し脆くなった表紙のないそれにはこんな話が書かれていた。

  彼は、体をおり曲げることをせずに路上の石を拾った。蛍石というあまり珍重されない石であるが。35年前に下半身を失った時、右手に握っていたものもそれだった。ユニオンパシフィック鉄道が彼の新しい世界を開いた。夥しい血の流出とともに。コロラドでは、干涸らびた目ばかりが奇妙に生き生きとした老人達が若い売女の尻を追い回している。彼女はしまいには観念したとみえ枯れ木のような男達にひび割れたキスをした。

  かつてメキシコシティーと呼ばれた南米のある都市でグルはいった。

 「すべてのエゴは効率のよくないコンピューターのようなものだ。それはチューンナップを必要としている。最適化せよ。個々の機能のメモリー占有率を減少させ、また命令の衝突を減少させることができれば、真のパラレル処理状態の実現に近づくことが可能だ」

 「地球重力圏内での活動は自動化し得る。食事、睡眠、性交あるいは労働、これら三つのプログラムは、エゴを常駐させバックグラウンド処理することが可能だ」

  そして私は林檎の腐臭漂う路地で自らのキーを計った。相変わらず安定していないよう。

  わたしには聞こえる18億台の端末のトラフィックが。ジャスト442Hz?
翌朝その男はいなかった。わたしのゲートウェイに熱い痛みを残して。薄曇り?そとにでようか。いや。蝉時雨か。もう何時なのだろう。

 秋、9月、クロッキーにでも行こうとする。

 熱いシャワーを浴びる。リクインのような液体が鼻から落ちる。アルキッドのチキソトロピー性のジェルである。ここでスパーク。分けのわからない自分の体。もう病気はごめんだよ。

 米国製の洋梨ネクターを飲む。私の離婚した夫は、この飲み物をよく飲んでいた。またつまらないことを想いだした。

 サドルに跨ると、ぐんぐん風を感じる。駅まで30度位のヘアピンカーブ、片手でハンドルを支え煙草に火をつける。

 「よう、ジュディー。久しぶり」

昭三さんがやはり茶色のスラックスでいる。

 「仕事が超忙しくて」

忙しくなんかない。

 「橋本さんは?」

 「与論島に取材に行ってるってさ」

 橋本さんは彫刻家だ。誰も彼の作品は見たことがない。立体としては制作しない彫刻家なのだ。私もときどきそう想う。芸術(?)は純粋にソフトウェア、想い、であればよいのであって、他人につたえるべき手段は本来、存在しないのかもしれない。

 今日のモデルは東南アジアの男娼といった感じ。なかなかキュート。23分のラウンドでとうとう彼の12インチが天を差した。バツイチ化(半年前わたし離婚したんだ)以来潜伏していたわたしの乙女心が爆発して絵の具(ウィンザーアンドニュートンだっけ?)は投げるは、筆を肛門に突き刺すは、93%はアウトオブコントロールだった。橋本さんが止めなければ、やっていたかも。

 さっき橋本さんは取材に行っていていないといったけど、やはりいた。別の週と勘違いしてたみたい。記憶の交錯。たびたびだったりする。

 これ以降延々と三文好色手記様のモノローグがつづく。もう忘れた。やめた。
 

 ジュディー作「自我の世紀」という詩は星一つなく聖的ですらある夜を何錠ものタブレットでやり過ごそうとしたところですべてのディシプリンがそうであるように徒労以外の何物でもないということを、俺に示唆してくれた。

 ゲームのペナルティーに性的に奉仕させられることは、ささやかな暇つぶしでしかない。いま、シャットダウン中の俺には。

 万引きを黙認する条件として3時間もキョウコに性的抑圧的奉仕をした(された)。ただ彼女は俺の体をタオルで懇切丁寧に拭きつづけ、ブロウジョブをしただけ。つかれたけどね。ジュディーに感謝。不思議と悪い気持ちにはならなかった。心地よささえ感じることができた。キョウコは結構チャーミングな日本人だったし。18才くらいかな?なんで盗みなんかしたって?タバコは吸いたいしマッチは湿っているし、金はないし。なんてね。意味はないのさ。いつもと一緒だ。そろそろ俺リブートするかな?する他ないかな?

 ここはどのネストだろう。私はどの人間だろうか。やはり書店のアルバイトかしら。どうやら女性のよう。そうこれがジムと会った最初だった。それから何度かデートして、私の卒論のテーマが「アートとモラル」についてであることを彼に話したところ、

 「キョウコにぴったりのプレゼントをあげよう」

と言ってあるアドレスをくれた。その日の日記はこんなだった。
 

10月10日

 その住所を訪ねれば、果たして死体はそこにあった。核を忘れた平和な日常にこの地、ブルジョワジイの住宅地を照らす太陽の反応光そして雀のさえずり、ピアノの音。それは静寂と同じだった。ところでこの美しくもたどたどしきピアノの音色はそれがそのまま美少女の指の作用でなく全くおぞましき形状の少女の音楽かもしれずそれはこの住宅地に非現実を生み出す兆候であり得たかもしれない。

 「君は、人間の死体を目の当たりにしたらどうかな。これを君にあげよう」

 なんと象徴的なことにプロレタアリアートの巣窟、卒論の取材で来ていた街頭(いや、あのときは単なるプロスティテューションであったかな)に立っていた私にジムとよく似た男の人が声をかけた。(やっぱりジム自身だったかも今となってはどうでもよいこと)そして私にアドレスをくれた。

 それに性はない。死体は”無”への昇華を求め私をにらむ。

 上向いた口であったところを広げる。それはたいそう力を要した。スカアトを残し下着だけ脱ぐと私は死に顔に腰を落とした。

 私は放尿するのだった。

 今、死に顔の様子はいかなるものであるのか。それは、何かの感情を表現している様であるかもしれない。しかし、紺のベールはそれを隠す。この時分の死体は冷たい。わたしのあくまでも生的なクリットなどにそれは対照する。生といえども私自身は死体の様に純粋な無感情でいられる様でありそれは他方至上の快楽を意味する。

 立つと、その勢いで、上顎を溶かし白濁した尿があふれていた。
ジムほど話のつまらない男はいない。しゃべっていることに全く一貫性がない。ある時はノイバウテン(ドイツのロックグループ、メタルパーカッションを駆使し一世を風靡した!)が好きで世界中に憎悪の矛先を向けているが決して戦うことのない男。ある時はアイビーに身を包みワーグナーに心酔するゲイ。ジョン・C・リリーやティモシー・リアリーに憧れる共産主義者。クリムト(19世紀末ウィーンの画家)とホーリーマウンテン(映画)さえあればいい自称画家。そしてそれは私にも当てはまる。まるで双子のように。最初は冗談のつもりで誘ったのだが。吐き気を催すほどの親近感はドライな恋愛幻想のシェアとでも言える関係を、二人にもたらした。

 東京ディズニーランドにいった。

 東京タワーにいって蝋人形をみた。

 御用列車を爆破しようと一晩中プランを立てたこともあった。(無論それは性的なコミュニケーションのバリエーションとしてであり実行されることはなかった)

 まるでヤクザの四代目みたいな、やさしい顔をみせたり。テレビのニュースショウでみた1990年代の日本のハイスクールライフ。細いビニールで代用した立体的なアルファベットを口に含み、細分化された産業のライフサイクルとともにランダムに立ち回る。依然として、プチブルの夢、アウトドアライフで環境を消費し尽くす。

さいごのフロンティア。可愛いジム?

 リブート後の俺は、破壊の満足度向上のために、同じようなことを繰り返しているように一見感じられるが、人間の脈動が、真心が、運動の付加が、耳鳴りが、機械が均等のリズムを、刻む。燦然と輝く、5億人もの、ベクトル。一瞬の磁気嵐で、なぎ倒される様を、汗だくになりながら夢想し、目覚めるのだった。細いビニールで株価の値動きをシミュレートしたところで、最初は冗談のつもりで太陽の反応光を音として捉えようと35秒間、息を止めてみたものの、脳から132文字の記憶を呼び覚ますのにとどまった。

  遊びながら全人類の想念は、そして進化がもたらしたすべての英知はすでに準備された!

 そう、全ての印刷物の表面に光りをかざし、紙の表面の光沢部分とそうでない部分の織り成すプリミティヴな紋様、さらにそれはミニマムにミニマムに永久に収束しないループ。されにそこには、男女の営みが、母と子、父と子のほほえましい日常が、透過光ごしの胎児のような色彩で蠢いている。なぜに人々は、印刷物を用意するのか?パルプの組成。インクの網点のずれ。すべては私に準備されている。完全なる位置関係。物と物と物の形。距離。

 印刷せよ。もっと。全ての色彩は、減色し(8ビットに近いほど)、収斂され、コントラストを強める。ああ、何でもないものを見つめていたい、そして何もしない。私は何もしない。すべては準備されているがゆえに。

 もはやジムという人間の男性の個体は、ああ、なんていったらよいのか……。

 彼にタトゥーを入れてやりたい。プリミティヴな、クールなやつ。

 そしてわたしたちの関係は、婚姻となった。やがてわたしは妊娠することになる。子供の子供の子供の子供の話。

 22世紀を迎え、ロールスロイスで、グラインドして、雪道をデリーにむかいホットカレーをインジェクターで浸透させて軽い酩酊状態にブーストし、スラットを演じて20秒数えた。59日目の晩に、木星が、月に隠れて初めて僕は、20世紀末の遠い祖先の印刷物に目を奪われた。もう僕は35歳だ。もうこれ以上渇望することはないだろう。高揚するのは、彼岸へと思いをはせ、粘土質の愛情を交わす恋人に、インド人25歳、に何でもないもの祈りつづけることのみだ。それでいいと思う。ぼくはもちろん恋愛のアマチュアだ。恋人の一言一言にビクつきながら、どうにかイベントを創出する。もう僕は35歳だ。もうこれ以上渇望することはないだろう。でもこれら100年前の文章をやや冷静に判断すると、自分が生きて、ここ、今存在すらすることに驚嘆をおぼえる。ただ僕は自分の死を身近にしてみて、(このころの平均寿命は50歳である。筆者註)市バスの吊革にぶら下がり、見事な桜並木の、花のひとひらひとひらにその表面の溝の1本1本の上に吹きさらす空気の粒がいとおしくも感じたりした。ホスピタルの緑色のスリッパに5時間半見入ってみる。盗品だったライターに火をつける。何度も。

 「クスリだけください3週間分、あと眠剤も」

 今日はハワイに旅行に行くハワイアンウッドローズ・カクテルで。(サイケデリックが合法化されてから、ドラッグで観光をするのが普通になってしまった。物理的な移動を伴う旅行はすっかり廃れてしまったのだ。)自室のカウチで、ビーチを転げまわることが、楽しくてしょうがない。右耳にさざなみ、左眼に青い色彩。潮の香り。人人。肌を焦がす強い日光。舌のざらつき。人生の喜び。歓喜。なんの苦痛も、プレッシャーもストレスもない。サンクス。全てのものに。そして次に1970年代の日本。世代を越えてニューイヤーイブの夜には、テレヴィジョンにむかって、そんな時代もあった。コタツデバイスに二本の足を突っ込み、オレンジの皮をむきながら、ジャパニーズ・ヌードルを食べながら、カードゲームをしながら、Zippoライタをなくす何度も。グリーン、レッド、ブルー、乳製品。ダウナーに傾きながら、身近な嗜み、細工、半重力、最後に動けなくなる。体温を感じる。水蒸気に反応する。

 警察につけられている感じ。この感覚。妙に懐かしい。心地よい。シンジュク情報神経センターに落雷を願ってこの文字の羅列を終えることとする。

2.Just Do It!

 俺は、そのバーを立つと、決して軽いとはいえない酩酊とともに新宿の夜を彷徨した。そして、十代の若者2、3人はいたかな?に殴られ血だらけになって総武線に乗り込んだ、寝込んだ、乗り過ごした、タクシーを拾った、血だらけのスーツが惜しく思えた。銀座で買ったヨージ・ヤマモト。はっきりいって当時の俺のサラリーでは高い買い物だった。不思議と苦痛は感じなかった、妙にさっぱりとした心地よさすらぼろぼろの自分に感じていた。そしてジュディーの視線を感じていた。

 翌日顔面は水死体のそれのような様相を呈していた。左目はコミックでよくある殴られた表現のように周囲が真っ黒になっており、このあざの色とれるのだろうかと心配になった。職場には、正直に前夜起こった顛末を報告し休ませてもらうことにした。煙草に火をつける。吸う。ここでちょっとした思考停止。さあ俺も歳をとったものだ。25歳。薄くコーティングされたキーボードの表面に目をうばわれこれ以上タイプすることができない。もうこれ以上今日は何もできない。

 インド人グレースとはもう別れた。もう二度と会うことはないだろう。二人で行った、東京ディズニーランド、東京タワー、お台場、恵比寿、池袋、御茶ノ水...行けばふとその思い出が去来することはあるだろう。彼女と聴いた音楽見た絵、見たビデオ...ふとその思い出が去来することはあるだろう。ぼくはもちろん恋愛のアマチュアだ。共有された記憶。なんて糞クラエ!今僕はまったくの孤独だ。DMTでぴかぴかになって、GHBでまったりとして、震える眼窩の中で、汚い汚らわしい邪悪な想念がむくむくと育ち始めて、この国にいる被抑圧者たるアジア人民の一人に気に入られて、愛してる?って聞かれて。どうしたらいいのか?って思って。いつまでも君と一緒にいることはできないといって。自己の奥底に眠っている差別意識に苛まれて。

 海軍兵学校を出た親父の、こぶしが懐かしくて。グレースはなにをしているのだろうこの同じ空の下で。この同じ惑星の空気を吸って。彼女は遠い目をしていた。

 「もう、これ以上恋愛は続けるわけにいかない」

 確信を持って僕につぶやいた。いかなる説得にも応じようとはしない。信仰の道に忠実であるためにやむを得ない決断だと言う。狼狽を押さえようと煙草を立て続けに吸った。寒かった。最後の喫茶店を出るときは、二人で声をそろえて

 「別々に!」といった。僕が払うのが普通だったのに。僕はあきらめた。こんな終わり方もあるのだな。宗教なんて一切無駄なのに、徒労なのに、生命活動の浪費なのに、結局虚無なのに、何でもないことなのに、最後に踊るのは僕たちでいいのに、進化の最後を目の当たりにすればいいのに。生きることの糧がせいぜい宗教の意味なのに。それが目的になってしまってはいけない。人類の究極のかたちである”美=死=虚無”の先駆となって”反生産”、”反出産”のスローガンの下で享楽の生をやり過ごせばいいのに。

 海にいった。沖縄に。漂泊した。酸化したようだ。まったく遠い国から、マラソンランナーが新しいムーブメントを知らせにくる。「さあ、これからは海がくるぜ、へへ」。海底の奥に深海に暗渠に恐ろしい水圧下で、ささやいている一人の少女。なにかをささやいている。裸族に口移しで、水滴をささやく。砂漠の1万年の時間のまどろみにまったく無風状態で、影のない時間に、さらに3千年間凝固。海辺で失われた子供達が待っている。この時間、この座標に、ついにはかがみこんでしまった僕を、迎えにきた。無数のワーム。死の恐怖にも似た。投資家がすべてを失いホームレスになった。歩いている。雨の中を、工事現場で足を滑らせ暗い泥だらけの穴に落ち込み足を鉄くずで切り、血が雨に流れる。70億の市民生活を、悲しみに満ちた囁きの中に息づいている音として感じてみる。わずかばかりの金を、ポケットに突っ込み、新しい生命を改めてはじめてみようと決意してみようと努力するも徒労におわる。途方に暮れる。1万5千円を浪費してみる。自分の体で商売をする女とデートしてみる。息子が撃った銃弾で殺された人々。自らの罪を深く反省する文章を読み上げた。遺族の前で。自由を奪われて、命を奪われて、50才まで刑務所に収監されてみることも可能だ。

 僕は、最低の人間だ。こんな精神状態でまともにライフルなんて扱えない、だって差し入れはジュース1本のみ。もし乳製品を摂取しようものなら、MAO阻害剤の効果が祈りにも似た、神の存在を身近に感じた体が調子悪く、吐き気を催し恵み深い神の元に倒れこむ。なぜ、そんなことをしたのか。どうして、どうして、そう最初はほんのいたずら心からだった、ジュディーと冗談で、みんながライフルの弾から逃げ惑う様を笑ってみてみようと相談して、どっちが言い出したのかな?たぶん僕だと思う。先生、僕はどうやって償えば、そう、僕が言い出したのだった。結果的にはジュディーのほうが多く殺してしまったけど。ジュディーは逃げている。いまだにこの国のどこかを逃げ回っている。先生、僕は死刑になるのかな?人を殺してしまったことのある人間である僕は、人を殺してしまったことのない奴らにどうやって接していけばいいの?薬がないと眠れない。人って簡単に死にすぎるよ。ほんとにびっくりだよ。震えがとまらない。がくがくする。しゃべることができなくなってきた。せんせい。

 担当カウンセラーは、右耳に軽い幻聴を感じて、部屋を出ていった。

 「今日の晩飯は、何にしようかな!」

 なんて声に出して廊下を歩き出す。郡の少年刑務所の廊下。35歳男、独身、恋人なし。髭をもみ上げからつながるように蓄えている。髭をつまむ。今度は左耳にキュルキュルと幻聴。頭蓋が軽くきしむような感じ。自室のドアをあける。人間の耳みたいな模様が細かく無数にある壁紙の染みひとつない壁に少々安っぽいロセッティの複製がピンで留めてある。彼の部屋は煩雑としている。時々大掃除をするのが趣味なのだと事あるごとに友人に説明しては入るが。彼の右目は義眼だということになっている。しかし、放射線の軽い照射がそんな現実味をおびた右手中指のつめの変形を見逃すこともなく、ちょっとした赤色偏向の錯乱に喜びを見出したところで、やはり胃の疼痛は、意識せざるをえないまでに刻々と瞬間を刻み始めていた。2万匹の実験用ミミズが、この静寂の中で唯一、生のしるしとしてこのコンクリートの建物の中で蠢いていた。彼がつぶやいてみる。

 「Just Do It!」

 少年のいった、たった一つの動機らしき言葉。

 もう一度、

 「Just Do It!」

 さっきより大きく。

 20曲の偉大なジャズファンクのヒット曲集。ベルリンでの葬儀。第2の年次報告。くちずさんでみる。ささいてみる。うめいてみる。構築してみる。破壊してみる。生きてみる。飼い犬。かわいらしい。燦然たるエジプトの遺跡に、絵本で接してみて、条件反射でモルグの守衛の真似をして、変態どもに楽しみを提供してみたい欲求に襲われるような想念にかられる。そもそもこの仕事をはじめたのは、少年犯罪の増加を憂い、それもごく親しい友人夫妻の息子がその犠牲者になったからではなく、そんな状態にならざるを得ない少年それ自体に興味があったのであり、少年の心理そのものの奥底の暗渠、感情を制御する化学反応。ちょっとしたシナプスのサーキットの変化。最終兵器のロマンスが無責任に、そのサーキットを形成する様。それを仔細に電子顕微鏡越しに眺め驚愕し。ある種諦念したような状態で、もう半年はこの仕事をやり過ごしていると言った状態である。

 扉をあけると。

 プロファイルのコレクションが、夥しい資料の山がやはり雑然と配置されている。カブトムシの足、口紅のついたト音記号の形のストロー、砂だらけのキャデラックのミニチュアカー、死んだ精虫まみれの万国旗、緑色に塗りたぐられた箱一杯のモノポリーの駒。周到に練り上げられた計画。あと数秒で始まる計画。彼は、一度も撃った事のない新品のコルト社製ガバメントモデルを、胸の皮製のホルダーにおさめ、自室を出ていった。午後10時。土砂降りの雨。歩いて一番近くのドラッグストアに向かう。傘は自分で買ったワンタッチ折りたたみ式の小型のものだ。グレイのその傘の布地は、雨を浸透させ、内側まで雨水を垂らす代物だった。鼻筋を水滴がつたう。彼の思考を邪魔する。ぬぐう。素手で。ぬれた手をシャツでぬぐう。ドラッグストアで彼は、小さなマリア像、夜光性で樹脂製のものを店員の目を盗んポケットに忍ばせた。KENT煙草を1カートン購入する。紙幣で支払う。正確に20秒まって、店員こめかみを、取り出しざまに銃のグリップで唐突に渾身の力をこめて殴り、初老の黒人の店員を倒してみる。内出血で晴れ上がる顔。うめいていて気を失わないのを確認して店を出る。マリア像を手にとって仔細に眺める。夜の闇に緑色にぼうっと光る。

 「完璧だ」

 自室に戻って、ソファに倒れこむ、笑いの発作がこみ上げてくる。

 小さな暴力の実験は成功した。声を出して笑う。やがてその笑いは、泣き声にかわる。声を出して泣く。何十年かぶりに本当に心底泣く。

 泣く。「Just Do It!」

 早くさばかないとまずい代物は、今日全部使ってしまおう。ハシシでこんな跳びは初めてだ、まるでサイケデリック。もはや脳内サーキットがサイケデリック系にパッチされてしまったのか?

 新緑のグリーンのような犬を見た。美しい。右耳に、その中に、細部のその中に。

 きらめく音響もディレイし、細胞の一つ一つの運動に意識を傾け、蒼い空に雲の影のエッジを見出して桜のかすかに薫る、走る楽しさを追求した。けっして珍重されることのない意思。耳鳴り。最前列の花々、死さえも記憶の外に弾き飛ばす強力な磁気。意思。片足だけで立って50年間過ごし続けた男。いま狂気という何物でもないものに突き動かされて。小さな暴力を成し遂げた。この男。カウンセラー。ジャズ。インタープレイの中のちょっとした不協和。小気味のよい不調和。ちょっとしたずれ。増幅する。右に傾く。左に意識を。天井から小人の踊り。足跡。癒し。足音。癒し。潤い。人生の生きていくことの、寒気。尊い犠牲。かすかな幸福感。かすかな優越感。ところでこの美しくもたどたどしきピアノの音色はそれがそのまま美少女の指の作用でなく全くおぞましき形状の少女の音楽かもしれずそれはこの住宅地に非現実を生み出す兆候であり得たかもしれない。汗。愛してる?って聞かれて。どうしたらいいのか?って思って。そして私は林檎の腐臭漂う路地で自らのキーを計った。440Hz。微熱。地球重力圏内での活動は自動化し得るのか?耳にゴアの風は心地よい。最後の情景としてはふさわしく思える。日々の何もわからない日々の終焉。なにが切望するのか?少年のトリガーを引いてしまったものは、なにものなのか?30万年も続いたなにものかの終焉。

 サイキックなテレビジョンを見つづけて一冬を過ごしてみるしかない。

3.Ambient Gothic Hard Core Metal Music

 「イアンは先住民から買ったきのこを食べたらしい」と、ボブ。

 「カレドニアのさんご礁の上でダンスをした野郎?」俺は、イアンを二人知っている一人は、イギリス人で、某大手証券会社でシステムマネージャーをやっている。片方はプロのダイバーでケルンからきた。

 「いや、やつだ。あの、バーでギネスを23パイントあけた。やつ、戻ってこれないらしいぜ」

 「まじめに?あいつ女房とガキどうすんだ?」俺はイアンの4歳の娘とジグソーパズルをやって、飽きてきて仕舞いにぐちゃぐちゃにして泣かしてしまったことを思い出した。

 「さあな」

 「戻ってこれないってまさか...」

 「そう、タンギー爺さんのところで...」

 「できの悪い偽札のベッドか...」

 「女王蜂の相手?」

 「最悪。最低だぜ、はは」おれは、笑った。

 「奴は最高なんだろうけど」ボブも腹を抱えている。

 「もうワンラウンドでバー変えないか?」

 「ああ」

 「あの女どう?」俺は一人の黒いドレスで背中丸出しのブルネットをあごで指した。

 「オフィスの会議室でねじ込んでやりたいよ。はは」ボブまた笑い出しやがった。

 「そうゆう意味じゃなくて、あくまでも結婚相手と...」

 「ああ、わかった。またおまえの結婚願望か、そんなの姦ってみなきゃわかんねっつうの」

 「まあな、おれは可愛い女と結婚するのさ」おれは綺麗な人形みたいな女と結婚することに決めている。

 「じゃいくとするか」

 ボブと俺は、汗でずぶ濡れになりながら、夜の闇に出た。この辺にバーらしきものは少ない。行くとしたら、いつものウィングだ。多分今頃は、アンビエントでもかかっている頃だ。金曜の朝2時は、アンビエントタイムだから。たしか。

 俺たちは、酒だけで、ここにきちまっている。最高にハッピーとはいかないが、テキーラでもあおって軽く酩酊を持続させ。地べたに座り込む。目の前で目を閉じてる女、グレースか?よく似ている。ちがう。その左の男。耳からスライムをとびださせたやつ、いまはやりの、ヘッドフォンそうエフェクターのついたやつ、音響を自分でイコライズできる。やつは、知っている。何度かここで会った。しゃべった。やった。いや。おれはホモじゃない。

 「おれ、この列車の音によわいんだ」

 いま、トランス・ユーロッパ・エクスプレスの音が、ミックスされてきた。

 「おれ、どっか遠くへ行きたいよ」

 ボブが、涙を流している。こいつなんかやったな。おれに隠れて。犬の遠吠えだ。イルカ?の声?おれも尻のポケットから、ハッシシを取り出し、吸い込む。吸い込む。吸い込む。尻に穴のあいたジーンズ。尻のあいた尻のジーンズ。ジーンズの尻の穴。

 音声の知覚が、左の傾きが、外国語のように、オーストラリアの笛のように。鈴虫の鳴き声に。塹壕の中でガムを噛みつづけるアメリカ兵のように。誕生の瞬間を思い出し。病室のにおい。ママの声が聞こえてきた。あたまが痛かった。死ぬほど恋しいママの子宮の温かさ。におい。感触。すすけた胎児の記憶。

 海馬の脳内ホルモンが活性化したり。(妊娠7週間目に脳の分化が始まり)

 35年間の無駄な時間。無為な時代。ディストーションで思い切り歪ませたギターかピアノの音。エコーがエコーが。胎児の心拍にシンクロして。音楽、音の想像の喜びに。感謝する。感謝するのみだ。最後の音楽。最後の人間。世紀末の潤いの時間。微小な音量でヘヴィーメタルを聴く。そうデスメタル。北ヨーロッパの。タバコの煙。モニターに吹きかける。上等な葉巻をちょっと吸ってみる。耳の形のライター。海軍兵学校。不祥事。何事もなかったかのような時間。被害者。レイプ。加害者。裁判。納得のいかない判決。俺の妹が、レイプされた。海軍兵学校で。国家権力?いや、そんな大げさなものでもないが。俺は俺で復讐を果たす、オマンコ野郎どものケツに、ナイフをねじ込んでやる。かき回してやる。覚えのない膝の痣。最後の記憶はボブの顔。気がつくとブーツのままでベッドにいる。泥酔。たくさんのデパス(精神安定剤)とビールのカクテル、何を欲しているのか?女?女?くだらない。俺は、俺は、誰ともやり直さない。同じことを繰り返すことはもうこれからは、ないだろう。そんなちっぽけな脳に似た器官のびくつき。明確な展望?野望?人生の計画?糞だ。なるようになるだけ。
 そう明日も俺は泣きつづけるだろう。孤独の暗渠のなかで。なにもかもくだらない。もう人間関係はいらない。もう人間関係などいらない。薬とタバコさえあれば、やり過ごすことも。時間がない。時間がある。どうやり過ごしても、十分だ。もう数十年、数年で死ねる。もう終われるんだ。もうたくさんだ。もうたくさsんはjそあふぁd、すべwてwjsdjskぁlshbにもうなにもない暗い穴ぐらへと帰り着くdsdsjdさdllkkjひって。興奮さえかjkjk催眠l、」サンキュー;Very Much Guyys,!くだらねえ。自分に対する怒り?なわけねえ。自分に対する怒り?なわけねえ。もう人間関係などいらない。うんざりだ。自分に対する怒り?なわけねえ。これだけは揺るぎ無い俺の気持ちだ。意識だ。脳。からからの?人より一回り大きな脳髄。なわけねえ。アルコール。薬。合法。非合法。男と女は一緒にいなければだめだ。なわけねえ。

 ボブの野郎結局、あのグレースに似た女としけこんだようだ。笑っちゃうよな、しけこむ。奴がセックス。ははははは。笑っちゃうよな。まったく。それが奴のスペック。存在の確証。俺みたいにクールじゃねえ。決して俺みたいじゃねえ。モッズじゃねえ。パンクスでもねえ。でもダチだ。それはそうだ。ここ2年もつるんでる。俺より10も若いが。ねえみんなもやってるの?きみ!俺はセックスそのものはつまらない。人生の徒労であるところのエッセンスとでもいっておこう。最もチープな暇つぶし。

 時間と言葉。鍵と星。調子が悪い。体も心も。気持ち悪い。酒の飲みすぎ。GHBが手元にない不安。また手に入れるか?

……ああ……叫ばずにいられない。ジュディーは、すこし後れてCPUに這入ったために生け捕りにされたらしい。そして、その肉体は明らかにレイプされたことが、その唇を隈取っている猿轡の痕跡で察することができる。それだけじゃない、彼女の32粒のドラッグは、警察がよく持っている口径の大きいライフルを使ったらしく、空包に籠めて、その下腹部に撃ち込んであるのだった。私が草原を匍っているうちに耳にした二発の銃声は、その音だったらしい……、血にまみれたエクスタシー、ブルーズそしてプロザックの数々がキラキラと光りながら粘り付いていたのだった。警察のこの暴虐をだれが許せるものか?ジュディーの死?詩。信じられない。不可能なことだ。私のすべてだった。もはや私自身の肉体も朽ち始めているかのような。いや、実際微々たるスピードではあるが刻々朽ちているのだが。実感として感じることができる。今。この座標で。そのなかで、じっとりと。しかも寒々と。時間の流れに耳を傾け、そして何時かわからないが、必ずくる人生の光の時期を待ち続ける。何もしない私は、何もできない私は……。怪しげなタクシーの運転手。信用するわけにはいかない。ろくな職業に就いてない。恐ろしい額の金が動く。信じたくないことに、恐ろしく不味い酒で最後の乾杯をする。狂った微生物の孤独な運動、まったく味気ない。醗酵。腐り果てた液体を足元に垂らす。曇ったグラスに、とまる蜂の足の蠢きに。ひばりの舌を思わせる、心地よい蜜の味、それを手にするはずの私立探偵。東京に赴く。突破口をさがしに。
 

 「ジムの手に残されたメモリーにあるはずの経済スキャンダル。人の生死にかかわる。場合によっては」

 ジムは今日もフィリピーナ・パブにいった。1999年10月17日。妙に暖かい日々。まったくむなしいコンピューター・ソフトウェアの開発を10年以上続けてきて。命をかけた嵐のような激しい詩を書きたくて廃れた町工場に薄汚れたジーンズで出かけた。直径が2メートルはあろうかという赤錆びた歯車。おぞましい工業の発展の記憶。いったいどれだけの命が消費されていったのだろう。涙が止まらなかった。大躍進。そして破滅。

 タイ王国に行く。ツクツク(タイの三輪車)の心地よい風。排気ガスまじりの。運転手の歯並びの悪い笑顔。そこに差別的に屈託のなさをかんじ、また、したたかなものもその鈍いひとみの光に宿ってはいた。どこかの富豪が奉納した、最新型の仏陀像。おぞましいほど黄金で巨大。それでもひざまづいて祈りをささげる人々は確かにいた。ブッディストでない俺の脳には軽い効きが回ってくる。20世紀の終わりのバンコックで、星屑の輝きに邪魔をされて、忍耐強くアブサンを飲みつづけ、さほど意味のない夜を想う。気を失いながらも動きつづけ、しまいに暗い穴ぐらへと帰り着く。

 さて、さほど最新型でもないパーソナルコンピューターに向かって、くだらない文字の羅列をたどたどしくエントリーする。おまえの後ろにいるのは誰だ?おまえの存在を脅かすものは何だ?きみの時間を輝かせるものは何だ?そして誰だ?情況の中で疲れを知らないダンスを、いや眠ることのできない夜に踊るダンスを過去から未来に続けるキミは何者?

 体内時計のきしみ。退屈。憎悪。死んでいいよ。キミたち。微細な冷め切った愛の残り香をたどりなおす作業に、3分間浪費してみて、彼女とは何もかもが、終わっていることを確認してみた。牛乳壜の底に、テーブルクロスにこぼれたクッキーの屑に、偏在する、リアリティーの君主たる時間。何でも薬で楽にできる。彼女はたいそうヘビーだった。薬でなんとかなったかなとも思う。


 「東京、バンコックへ行ってきただと?もう、おまえのネガティブな言説には付き合ってられないし、俺は抜けるぜ」
とボブ。

 「ああ、おれも今日は帰って昼まで、寝てー」

 「じゃあ」

 「ああ」

 暗い穴ぐらへと帰り着く。テレビをつける。眠剤を飲む。電気を消す。MP3でゴシック・ロックをBGMにする。もちろん眠れはしない。暗い穴ぐらへと帰り着く。死んだように眠りこける。そんなイメージでオーバーライトしてみる。最高の眠り、最高の。目がさめると世界中が微笑をもって俺におはようって言ってくれそうな眠り。暖かく心地よい光の中で目覚め、四肢にエネルギーが満ち満ちており。いきなり起き上がってもめまい一つしない、健康な目覚め。完璧な目覚め。そんな目覚めを期待させるような眠り。期待だけでいいんだ。期待だけで。ああ、ミッシェルごめんね。カンボジアからきた笑顔のかわいい子。アンフェタミンがなければ人とコミュニケーション取れない子。クメールルージュの子供。いま、なにしているのか。少なくてもいい眠りを確保できているのか?盗品の携帯電話でよく話したっけ。他愛のない会話を。

 「元気?」

 「元気。今何してるの?」

 「歩いてる」

 「私も歩いてる」

…………眠らねば。眠らなければ。どうして?あした、早起きして。まともに昼間の生活を送るためだ。まともな生活?何だ?知らない。でも明日は何もやることはないこの汚い暗い穴ぐらを少しでもましなところにするため掃除でも、掃除でも。掃除でもしてやろうか?

4.Mick Regrets His Act

 長すぎる人生に澱のようにたまった個性という怪物。糞いまいましい。そのぞっとするようなエゴとエゴとの駆け引き。アルコールの力を借りて、搾り出す他愛のない会話の羅列でやりすごして、そしてブラックアウト。デパス(精神安定剤)だ、デパスとアルコールは危険だったっけ。酩酊して罵声を浴びせてしまって、そして彼女は、腹を立て、次の日携帯電話に出ようともしない。

 自らの愚行を反省し、ただでさえつまらない、くだらない生をかろうじてやり過ごしているというのにその上に反省だって?きついよ。

 まったく泣くしかないだろう。認められてみたい。隣人たちにも、赤の他人たちにも、たった一人の他人にさえも。ちっぽけな確証が得たい。ぼくだって人間なんだ。生きて。本当に生きたい。手ごたえがほしい。正直にそうなんだ。だから、こんなことを日本製のノートPC、CPUはインテル社のモバイルセレロン266MHzで解像度はSVGAで、ACアダプターもつけずに書き綴っているんだ。決して死にはしない。そう簡単には。ジャンポール・ゴルチエのスーツを着て、ラジオでエリック・ドルフィーを聴きながら、ペリエを飲んで。ダイスを転がして。孤独なやすらぎ。ちょっとした狂気の感覚に選民意識を感じたりして。たいそう健康的な狂気。それでもいい。ささやかな生活。世界にフィットした感じ。それこそ望む物。

 もうなにもインプットすることはない。すべては準備されている。それでいい。はは。

 でも、僕は一生悩み苦しみつづけるのだろう。混乱こそわが墓碑銘。そして力。はは。

 でも......。

 でも、数千枚のCDのコレクション。数百体のフィギュアのコレクション。数百枚のレーザーディスクとDVDのコレクション。数十台のPC。家庭内LAN。数十本のギター。フェンダー、ギブソン、ウォッシュバーン、数十のエフェクター。フェイズ・シフター、ファズ、グラフィック・イコライザー、タッチ・ワウ。ミキサー卓、ハードディスクレコーディング・システム、アンプリファイヤー。マーシャル、ハイワット、フェンダー、ピーヴィー。MDプレイヤー。DVDプレイヤー。サラウンドシステム。ガジェッツ。ガジェッツ。かわいい。かわいくない。憎い。でも。ぼくは何かを表現したいんだ。これだけのガラクタが必要なんだ。それは、必要なときには必要になるはずのものなんだ。

 でも本当に彼女には悪いことをした。主治医にも飲酒は止められている。だから酩酊に陥ることだけはやめよう。飲酒はクールにしなければ。煙草も減らそう。それがぼくの新しいスタイル。仕事もする。そして何かを作り出そう。機は熟した。さあ。ハードディスクをドライブしろ!準備はできている。

 そして幼虫が動き出した。3百メートルの樫の木のたった25センチのマイホームにむけて。削除されるべき文字の羅列をバッファーの中にカットして。一気にスイッチを切る。最後の洋梨のジュースを飲み干すと他愛もない天使の歌声が、ほんのかすかに幼虫の肌を撫でる。65センチ這い進んだところで、じっと天空を仰ぐ。澄み切った冬の青空にひばりがせわしなく飛びまわり。静寂を演出している。遠くまで来た。ほんとに遠くまでだ。オレンジ色の触覚を、伸ばして冬の大気の僅かな温かみと近くの牧場のサイロから漂う牧草のにおいに触れてみる。冬の午前11時、遠くから米軍機の爆音が近づいてきた。そうだ、近くに在日米軍の基地があるのだった。それは、冬の朝の静寂に、意外とフィットしていて、そんなに悪いものではない。1ミリリットルの樹液を、いとおしげに吸いつづけると、自分がいったい何に変態するのかという不安もしばし忘れることができる。秋葉原から親子連れが来た。その子供が来た。幼虫を踏みしだいて行った。樫の木にちょっとしたペーストととなって塗りたぐられている幼虫は、自分の死を感じるひまがなかった。だから今、ここで、文字を打ちつづけているのだった。バッファーに入っていたためペーストされて元の姿に戻ることのできた幼虫は、触覚を仕舞い込み沈黙を続けるのだった。

 高層ビルの只中に立ち尽くし、心地よさに、微笑みながら、足でリズムを刻み。何かを待っている。なにかよい事がある予感。本当になにかよい事がありそう。列車の音が遠くから聞こえてくる、何かよいものを運んできたのだろう。とてもおいしくて栄養がある食べ物か、美しい絵本。美しい音楽を奏でる楽器。トランペット、ビオラ、オーボエ。駅では楽しげに働く人々。護送されてきた囚人達すら輝いて見える。とてもいい顔をしている。きっと悪いことなんてしていないのだろう。何も悪いことなんかこの世界にはない。

 そして巨大な怪獣がやってくる。幼虫は大人になったのだ。本物の怪獣。邪悪の象徴。やがて人々は、怪獣の出力する空気に汚染され、争いあうようになる。しまいには、同朋を殺し始める。激しいエゴとエゴの軋轢が、人間の進化をもたらすがゆえに。怪獣こそ進化の触媒であり、邪悪こそ人間の栄養なのだ。工場の油まみれの巨大な鋼鉄のカブトムシ。キャタピラ駆動。硬い外骨格には500もの砲台が設置されており、5万個ある複眼には、あらゆる人類の営みが映っている。200メートルはある角は、主砲となっており、口径20メートルの砲弾を1秒間に30発、発射可能だ。時速300キロで移動し、その排気ガスは、前述したように人々に邪悪の種、すなわちエゴを産み付けていく。主燃料は人間の悲嘆だ。エゴの戦いに敗れ悲しみに暮れる人々の感情だ。しかしながら蜂の巣にされ巨大なキャタピラにつぶされた町々は復興のエネルギーに満ち、進歩に拍車がかかるようだ。

 パラドックス。伝説。アンコール。忘れ去られたエピソード達。ビニールの匂い。長期不在。スポンサー。マーケティング。汚れた手。ホテル。飽食。バター。シガレット。アイスクリーム。キャデラック。ブルージーンズ。

 子供達に、パンダのぬいぐるみを渡して、ミックは眠りについた。

 悲しい物語を忘れてミックは眠りについた。

 深い深い睡眠。

 深い。

 饒舌な夢を見る。

 怪獣の燃料が終わる。

 ばらばらに自己破壊が始まる。半年はかかる仕事で、のべ200人のエンジニアが作業を担当し、それは効率のいい企業のような組織を形成していた。作業は、当初の見積もりを軽く超過した。結局政府の予算は、増額される。計画半ばで半数以上のエンジニアが解雇され。新しくアジアから優秀な若者達をリクルートし充当した。プロジェクトは、はじめから見直され。その目的までもが転換していた。怪獣を修復しそれを記念館へと改修することになったのだ。まず、進行する自己破壊を、アミノ酸の注入で、停止させ、脆くなった骨格を鉄骨で補強した。

 3万トンもの鋼材が使用され。60万リットルの重油が塗りこまれた。

 プロジェクト中、落盤事故が発生し3名のエンジニアが重症を負った。幸い5年続いた作業で死者は一人も出なかった。

 ミックはコンピューターのソフトウェアエンジニアとしてこのプロジェクトに職を得ていた。

 除幕式の中、彼は自分の携わったこの巨大な構築物を前に、自らの意識の中にすでに新しいもの生み出す原動力が全くなくなっていること気が付いた。イマジネーションの消滅。それは恐怖である。これから何をすればよいのか。これからの生活をどうすごせばいいのか?

 Burn Out。僕は生きていくのであればどうしたらいいのか?もうどんなガジェッツも効き目はない。どんな薬でさえも……。

 何もしたくない。死にたくもない。かといって生き生きと生きることはできない。なにかを求めたいとも思わない。なんでもない。なんにもない。ゼロだ。意志?ゼロだ。なまじ意識があるが故に、クルシイ。感じる苦しみ。感じる。確かに。

 ちょっと眠りたい。なにか面白いことが見つかるまでのあいだ。

 その後、彼に何が起こったかは定かではない。ただ次にボブが彼を見つけたのは3年後の精神病院だった。最後に会った時にその兆候はあったが、軽く100キロは超える肥満体に変わり果てたミックは、もの言わぬ存在となっていた。一方ボブの方はというと一流のアンダーグラウンド・サイケデリック・ビジネス・コンサルタントとして世界をまたにかける活躍ぶりだった。

 「やあ、ミックひさしぶりじゃねえか」

 「………」

 ボブは、バンコックへと戻っていった。ドラッグ・ピッチ・シフターの中古品を安く買い付けに。
 

5.Jim & Kyoko meet Bob

 5年間。結婚生活。渇望は癒されただろうか?血だらけになるがままにお互いを貪り尽くして、相変わらず書店で働いて。ジムが私の作品。そう断言できるまでの、愛。パフォーマンス。真実の命をかけた嵐のようなオブジェ。それが彼。全身に及ぶ刺青。いろんな部品をインプラントした。メモリーチップ。X線カメラ。

 そして、私達の子供。私が出産した子供。大変な責任をおわされ。私はその現実に驚愕するのだった。どんな怪物が育つのだろう?名前を付けなければならない。私のKyoとかれのmでKyom日本語で虚無。つまらなくていい。いい名前だ。可愛いキョム君。

 ついには、ジムとキョムの二人の同居人を手に入れた。決して悪くない。常に血液の匂いのするアパート。ワインをもっと私に。すばらしい母乳のために。ジムの爪弾くギターが耳に心地よい。最先端のアバンギャルドフォーク。

 悲しい足音みたいに、あなたの体を抱き寄せてみる。

 何もいわない。涙が僕のひざに落ちる。

 あなたと真夜中のプラスティックのアルファベット。

 体が眠れない病気の天使の微笑みが、プラズマの放射に泣き出しながら。

 不信という砂漠の中で何かを忘却してみたい。

  23回目の夢で、母親に厳しく叱責される。

 いわれのない、叱責。あなたの美しさに死を感じる。

 華の色は僕の悔恨。薄緑色の花弁に干乾びたキスをする。

 ブランド志向の最先端のビジネス。シガレットの香り。

 ブラウン管の放射に悲嘆に暮れながら。

  真夜中にあなたと螺旋状のマチエールを形作る。

 自由に、もっと自由に旅に出よう。

 残された時間は、無限にある。

 さあ、窓を開けて。外に行こう。

 孤独なやすらぎに別れを。

 完成された市民の連帯が共感の安堵をもたらす。

  自由に、もっと自由に旅に出よう。

 残された時間は、無限にある。

 さあ、窓を開けて。外に行こう。

 孤独なやすらぎに別れを。

 完成された市民の連帯が共感の安堵をもたらす。

  最後の言葉を歌い終えて、ジムは私を抱き寄せ、そしてキスを交わす。横でキョムは静かに寝ている。これが私の結婚生活。ジムの刺青をたどるように舌を這わす。書店の経営は微々たる収入源。恐怖の未来。子育て。現実ってこんなもの。ジャンクフードのインスタントなプラスティックの未来。もう、始めてしまった。もとには戻れない。そうゆうつもりもない。ない。ジムに仕事でもはじめさせようか?ボブに紹介でもしてもらおう。ボブは、うちの店の常連で一流のアンダーグラウンド・ビジネス・コンサルタントとして世界をまたにかけているらしい。いったい何の仕事なのか?全くわからないけど。結構羽振りもよさそうだし。そうだ、明日店にきたら頼んでみよう。
 「ハイ、ボブ」

 「ハイ、キョウコ」

 「70年代のコンピュータ心理学の本で、ウィルヘルム・ライヒの「コンピュータの性道徳」って在庫ある?」

 「そこに平積みになってるわよ。よく売れるのなぜか」

 「じゃこれと週間プロザックR3をくれ」

 「ところで、さあ、ジムにいい仕事なんかない?」

 「ところで彼って何できるの?」

 「何でもできるわ、なんでもいいから使ってみてくれない?」

 「よし、俺のアシスタントにでもなってもらおうかな?ちょうど新しいクライアントが入ったんで忙しいんだよね、広東語できるよね?ジム」

 「できる。できる。ジム!ボブが仕事あるって!」

 握っていたゲームコントローラを床に置いて、ジムがでてきた。

 「よう、ボブ。元気?」

 「やあ、ジム。早速だけど何時からはじめられるんだ?」

 「今日からでも!」

 「よし、まずその服をどうにかしてくれ。キモノじゃまずいんだ」

 「わかった。スーツに着替えてくるさ」

 ゴルチエのスーツを着て、フランス製のワイシャツを着て……。

 「ところでどこで何をすれば言い訳?」

 「ここから10分位のところにある衛生センターの2階にあるオフィスに来てくれ。ちょっとした資料の作成だよ。時給2千ドルは払えるよ。OKだろ?」

 「申し分ないよ」

 「じゃあ今から行こう」

 ジムは仕事に行った。面白い。とっても愉快。

 新薬のプレゼンテーション用の資料を作成する。

  DMTの効果的な導入と、継続的な運用。
 レガシーシステムとの統合。
 ソフトドラッグ・エンドユーザーへのインターフェース。
 分散幻覚のリポジトリの管理。
 通信インフラの最適化。
 脳のクラスター化によるODの回避。
 バックアップ・システムにおける触媒の適正化。

  ジムは没頭した。全く熱心に働いた。

  2日後、会社でパーティーが開かれた。ボブ、ジム、そしてキョウコの顔もあった。ジュディーもいた。最新のストレンジ・エスニック料理にベルギーのビール。

 「我が社の業績は前年度比で130パーセント成長している。アフリカの砂漠のように、市場はまだ広大だ。敢えて数値目標は言わないが。君達の更なる努力を期待する」

 なんてボブが言ったかと思うと。

 「アフリカの砂漠にいかなるヘンプを植えてみたところで徒労さ。ここにあるセックスの情熱のように。僅かな。ごく僅かなロックンロールみたいにね」わけのわからないことを叫ぶジム。

 キョウコは、久しぶりに人との交わりに感激し、社会との絆のなかに自分を発見できたのだった。

 ちょっとの間くらい孤独の暗渠を忘れていてもいいじゃない。

 ワインなんて3年ぶりくらいかしら。

 この味覚はなんなの、グルメじゃないけど。感激だわ。ダイエットはしてないけどこんなのになれちゃうと、気にしなきゃいけなくなるでしょうね。そういえば私、結婚しても殆ど料理なんかしていなかったっけ。ジムが気にしないから。そう気にしないから。

 ジュディーって何なの?どこからきた訳?神出鬼没。たまに私の人生にひょっこり現れては、消える。

 「キョウコ久しぶりといわなきゃいけないのよね」

 「ジュディー、私の仕事は相変わらずひまだけど、ジムが社会復帰してくれてやっと楽になったわ」

 「私はちょっとお酒足りないみたい」

 そこにジムがきた。

 「やあ、ジュディー。よく来てくれたね。最近は何をやって生きてるの?」

 「それは、言えない。と、説明もしたくないということも出来ない。とは言わないわ」

 「おれは、生きるよ。働いているんだ」

 新しい暇つぶしがひらけているよ、ジュディー。もう君は必要ないんだ。僕にはキョウコがいるんだ、そして息子も。

 
 そしてジュディーは、テキーラをボトルからじかに流し込んだ。ブラックアウト。

 床に倒れこんだ。誰もそれをケアしようとはしなかった。

  4分23秒。

  ジュディーが笑いだした。

 「みんなじゃあね」

 彼女は帰っていった。

  この日の彼女の言動は虚無への信仰(そうジュディーがかつて築き上げたもの)が虚無そのものでなければならなく、じつは彼女自身の存在感自体が矛盾していたということを証明したものだった。そしていまや呪縛はとけたのであり、また永遠のものとなった。ジュディーは存在してはいけない存在。だから彼女はもういない。彼女の死のシーケンスは、もう提示されているのだから。

6.“Steel Rollers” Mick’s Memo

 象のような左足をもつ色素欠乏症の少女番人によると妻は脳の無い子を産む。そしてクリットは小人だ。ただ暗い大きな森を見ていた。自分。は偽悪の裸に甘い細胞の薫りを感じ、それは、赤い工場の躍動にも似た色即是空を没我へと精進させるのであった。

 母性とは、しかしながら先天性の吐瀉癖のごとく私の肺に寄生する。私は、この暗黒の下での感情の昂ぶりを想起させた母性を憎み愛する。妻の妊娠は、その腹を、つまり“森”と見せた。あたかも陰毛がその様な想念を象徴するがごとく。その少女を仮にジュディーと呼ぶ。ジュディーは、その中性的な顔立ちにより寺院の番人の奇形老人を演じる。足の奇妙に巨大な。それは、彼女自身の属性であり決して造形などではなかった。私は、妻の懐妊を知らせに寺に来た。門の脇にジュディーは、立っていた。遠景においてそれは、白い岩によりかかる老人を思わせた。

 これは詭弁だ。私は生産諸関係の総体を、その発展のある特定の段階において、要素複合体という思考上の記号における暴力の自閉化と認識による「渾沌」との「無関心」と考え、欲望機構としての同士粛清の劇場を(その硬く目をつぶった瞼から頬骨の奇妙な高まりへと、どろどろした臓腑がしたたりおちた。)ただ冷静に見ただけであった。見つめていたのでは無く。その時分、妻は出産という生命発現のひとつの見せ場を演じていたのであった。これは後から聴いたのであるが。

 ジュディーは、私を殺したいと打ち明けた。………。彼女の足は、石の硬さと脆さを備えていた。私がそれを噛むと口に砂のような足の破片が残りまたジュディーの身体には、削り取られた体積と同量のオルガスムスを与えるのであった。この不思議な比例関係の発見に我々は驚喜した。

 完全なる狂気に、振動する私は。ジュディーの夢を見た。振動はゆっくりと減速していった。そして眠る。

7.Guts & Blood
 パーティーは終わった。不思議な余韻。静寂。ジムは高揚していた。

 残酷な女神の落日に、最悪のシナリオを思い浮かべクリーンな眠りについた。

 キョウコが寝言をいった。

 「…先住民族の娘を、略奪して…」

 666秒後に、キョムの夢の中に、ウルトラマリンブルーの光の中の奇妙な音の残響としてそれは作用した。

 このような現象の堆積はあたかも遺伝記憶のごとくキョムのメモリ内容にデータを転送する。

  労働者の新しい運動を暗示する新しい大衆音楽を作曲する才能が、臓器マーケットに密やかに紛れ込むアフリカの猛獣のDNAが、バービーのプラスティックの身体に刻み込まれた決して語られてはいけない秘密の会話が現れては消える。漆黒の闇の世界で本当の未来に耳を傾ける。静寂の中に僅かに響きあう何物かの気配。おぞましい、それは最後の時が待望されるような、決して微笑みを交し合うことの無いコミュニティーのごとく、脈々と生命感あふれるトカゲの世界。青いCDの表面に映る自分の顔に見入る。美しい天使の電気の位相。最上のワインをトイレに流してジムは振り向いた。

 「記号としてのポリフェノール?そんなものは捨てることだ。キョウコ」

 「最近なんだか爬虫類っぽいの、私」

 「@=*??」

 そう言うとジムはベッドルームに戻っていった。

 「信頼感が大切。ねえキョム」

 キョウコはキョムを寝かしつけ。酸化してボロボロになったジーンズを脱ぎ捨て、ソファーに倒れ込んだ。形の無い彫刻の夢を見た。大理石。青銅。ミクスト・メディア。黄金のマスクに刻まれたサイケデリック。ターンテーブルにカートリッジを擦りつけてノイズを生成する。ディレイ。ディレイ。ディレイ。残響。室内楽。もはやどうでもいい工場の経営から身を引くのも、それはそれで知恵と呼べるポルターガイストの発現であり、37年という人生のたまりにたまった業を骨抜きにしたいという欲求に従っての、おなじみのあきらめの甘い果実の腐乱した香りに機械油をたらすだけである。

8.Micky Adenomy Hospital Experimental Metallic Mental

 作戦は終わった。カテーテルが厳然と突きつけてくるシャットダウン中の記録。痛みが余韻。

 術中の強制労働。生きるのこるために呼吸器にスポーツ選手並みに酷使された長年の静かな隠遁生活者としての最低限の機能を維持するに過ぎなかった肺。ニコチンのフィルター以外の機能を発揮したかわいい肺。そしてデバッグの結果は?
 びんに摘出された赤いジェリー。ミックの人間本来の持つ低俗な蛮性を抑制し続けてきた頼もしい戦友。もはや従前のミックではない。虚無への信仰も、彼の訴え続けてきた行為しないことの崇高さ、志願した非表現者たる隠遁した日々もすべては幾つかの赤いバグの化学作用に還元されてしまった。
 ミックは2002年にトロントで近未来のタワーにコメディー映画の悪党の基地めいた印象を見た後、アメリカ(体臭がまったく不快で自意識過剰で不気味なぜんまい仕掛かけの個人尊重という画一を強制する哺乳類ども)の巨大企業に潜入し現代アメリカ修正資本主義の人間性を破壊する労働環境を目の当たりにした。この経験より彼は当面の生活に必要な金銭を法外に高い退職金で充当し、新しいブードゥー時代のためのショービスの世界を正確に把握してビジネスモデルを確立するためにこの肉体の快復期にWebサービスで新しい知識のリンクを強化するつもりだ。

 「34.5分。膝のうらで測って下さい」
 「ナース、昨晩より体温が若干低いのですが。なにか不具合が生じているのでしょうか?」
 「男性ホルモンが活性化したため体内の脂肪が血中に溶け出されます。それが排出されるまでに体温が一時的に低下することがあります」
 「?」
 「まったくでたらめです。それでは。」

 ミックがベッド内ビジネスで読んだ本は、

 「クリタ式:記憶力増強術」 サンリオSF文庫 2002年刊
 秋葉原のジャンク屋で格安のメモリを買ってきて頭に挿す方法らしい。主治医の保証は受けられなくなるが、医薬部外品なのであえて保険負担額を気にすることなく手軽に増設できる。その際メモリモジュールの種類に注意が必要である。
 ひとつはSDRAMやRDRAMなど、主にメモリの種類の違いだ。これは自分の体質にあったものを購入することは言うまでもない。ちなみにミック自身は38歳という高齢のわりにはRDRAMであった。
 そのほかにもメモリを選ぶ際に出くわす用語がいくつかある。CAS Latency(Column Address Strobe Latency)「キャス・レイテンシ」と読む。メモリのスペックでは「CL2」や「CL3」などと表記される。SDRAMやDDR SDRAMなどのメモリ内部には、半導体記憶素子が格子状に並んでおり、データの読み書きを行う際には、対象となる記憶素子の位置を、行(Row)と列(Column)という2種類の位置情報(アドレス)で指定する必要がある。列を指定する信号をCAS(Column Address Strobe)信号というが、この信号が発行されてから、実際にデータの読み書きが行われるまでにかかる待ち時間(Latency)のことをCAS Latencyという。
 SDRAMやDDR SDRAMのメモリ・モジュールでは、CAS Latencyの値の異なる製品が複数ラインアップされている。「CL2」は2クロックで、「CL3」は3クロックでデータを読み出すので、CL値が小さいほど処理速度は速くなる。しかし、CL3とCL2のメモリの性能差は、メモリのベンチマーク・テストでも5〜10%程度しかなく、体感的にはほとんど違いはない。
 ただし、複数のメモリ・モジュールを装着している場合、それぞれのCL値が異なっていると、まれに不安定になるなどの問題が生じる場合がある。そのため、メモリ増設の場合、CL値が小さければいいとはいいきれない。可能なら、すでに装着しているメモリ・モジュールと同じCL値のものを使うようにしよう。
 シングル・サイド(single-sided)とダブル・サイド(double-sided)これもSDRAMやDDR SDRAMのメモリ・モジュールの種類を表す用語だ。大ざっぱにいうなら、メモリ・モジュールの片面のみにメモリ・チップが実装されているのがシングル・サイド、両面に実装されているのがダブル・サイドと呼ばれる。ダブル・サイドのメモリ・モジュールとは、2枚のシングル・サイドのメモリ・モジュールを1枚にまとめたものに相当する。つまり、同じ容量のメモリ・チップを搭載するなら、ダブル・サイドの方が2倍の容量を実現できるので、高密度化が可能なわけだ。その半面、ダブル・サイドの方がメモリ・バスに接続されるメモリ・チップ数が多く、メモリ・バスに負担をかけるため、システムに装着可能なモジュール枚数がシングル・サイドより制限されることがある。こうした制限は自分の診断書に記載されているはずだ。幸いミックの診断書にはそれらしき記述は見られなかった。
 増設したメモリモジュールは病院にかかる前には必ず外しておくこと。そうしないと保険の適用が受けられなく恐れがある。
 

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